■書 評

『精神神経学雑誌』 2012 VOL.114 NO.7

現代精神医学の礎 I,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ

1970年代から80年代の『精神医学』誌に欧米の精神医学の重要な古典を訳出し,紹介するシリーズがあった.評者は研修医の頃よりこの企画を楽しみにし,時々読ませていただいていた.名だたる著者と表題を見るだけでも刺激的で,こんな論文があったのかと教えられることもしばしばであった.計4巻からなる『現代精神医学の礎』はこの古典紹介を領域別に大きく「精神医学総論」「統合失調症・妄想」「神経心理学 脳器質性疾患・外因精神病」「気分障害・非定型精神病 児童精神医学 精神科治療 社会精神医学・司法精神医学」に分け,すべて再録したもので,計68編が掲載されている.いずれも,今日読んでも大変学ぶところが多い選りすぐりの記念碑的な論文ばかりである.

 

 例えば,『精神医学総論』では,Kraepelinの晩年の意欲的な論考「精神病の現象形態」(1920年)が掲載されている.この論考において,患者の年齢や個人特性,男女差,人種などが病像形成に関与すること論じながら,精神病の表現形態を第1群「譫妄性,情緒性,ヒステリー性,衝動性形態」第2群「分裂性,言語幻覚性形態」第3群「脳病性,精神薄弱性,けいれん性形態」の3群に分け,種々の精神病を理解するための柔軟な観点を提出している.この分類にはKraepelinの深い洞察が窺われ,分子生物学の最新の成果に照らしながら読むと,一層興味をそそられる内容である.『統合失調症・妄想』では,CapgrasRebou-Lachauxによる「慢性系統性妄想における『うり二つ』の錯覚」(1923年)が掲載されている.いわゆる人物誤認の体験を初めて記述した論考であるが,この論考は,その表題からして容易にわかるように,一過性に出現する単なる人物誤認よりも,いかにも似ているけれど別人であるという独特な「うり二つ」の確信を一貫してもつ体系性妄想に力点がおかれていることがわかる.53歳の婦人の症例記述がきわめて詳しくなされ,日本語訳にして計16頁のうち実に8頁,つまり半分が症例提示に費やされている.感応精神病の原典となっているLasègueFalretによる「2人組精神病あるいは伝達精神病」(1877年)やパラノイア論の原典であるFriedmannによる「パラノイア学説への寄与」(1905年),また第Ⅳ巻の「社会精神医学・司法精神医学」の章に掲載のGaupによる「パラノイア性大量殺人者教頭ヴァグナー」(1938年)など多くの論文から,周到な症例記述が精神医学の出発点であることが改めて思い知らされる.今日においても,臨床記述をもとに記述的エビデンスを導く作業の重要性は変わらないはずだが,精神医学の方法論として正当に評価されていないことははなはだ遺憾である.編者である松下正明,影山任佐の両氏は各巻の冒頭で,現代精神医学の動きに一定の評価を与えつつ,批判的な姿勢を格調高い文章で明確にしている.「しかし,DSM的原理から排除されている病因論,精緻な症候論,これ以外の立場に立脚する疾病論,疾病分類学,精神病理学,またDSMには触れられていない治療論こそが科学的精神医学誕生以来,現代にいたるまでの精神医学の本流であり,精髄ではなかったのか」.「DSM主義のパラダイムを発展的に乗り越えて現代における科学的,人間学的知と技法の新たな枠組みにおいて,この本流,精髄を再生させるべきであるというのが我々の立場である」.きわめて正鵠を得た力強い言葉で,この一連の書の画期的な意義がよく示されている.

 

 ここ最近,論文を作成する際,文献検索はMED-LINEやPubMeDといったオンラインデータベースでなされることが「本流」になってしまい,ここから落ちこぼれている,とりわけ仏語圏,独語圏の古い文献はほとんど忘却の淵に追いやられてしまっている.実に嘆かわしい事態である.その意味でも,すべての大学精神科や研究施設,医療機関の図書室に是非備えていただきたい必須の書物である. 

                   (加藤 敏)